故東大名誉教授・ニュートン編集長・竹内均氏

■ 訃報

氏は2004年4月20日に死去。 以下の記事は翌日(21日)朝日新聞朝刊の社会面に報じられたもの。

竹内均さん死去 「ニュートン」編集長
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 東京大学名誉教授で科学雑誌「ニュートン」編集長の地球物理学者竹内均(たけうち・ひとし)さんが20日午前5時41分、心不全のため東京都目黒区の病院で死去した。83歳だった。通夜は21日午後6時、葬儀は22日午後0時30分から東京都中央区築地3の15の1の築地本願寺本堂で。喪主は長男幸彦さん。自宅は公表していない。
 福井県生まれ、東大大学院修了。81年に東大教授を定年退官後、創刊されたニュートンの編集長に就任し、科学の普及に努めた。トレードマークのべっこう縁眼鏡姿でテレビや映画「日本沈没」(73年)に出演。高校物理の参考書を執筆、予備校校長も務め、受験生にもなじみが深かった。
 研究面では、岩板運動の理論であるプレートテクトニクス説を広めた。月や太陽の引力で地球がゆがむ地球潮汐(ちょうせき)に関する研究でも知られ、64年にベルギー科学アカデミーのラグランジュ賞を受賞した。

■ 惜別

以下の記事は5月10日朝日新聞夕刊の 「惜別」 欄に掲載されたもの。

東大名誉教授・ニュートン編集長 竹内均さん 科学広める
たけうち・ひとし 4月20日死去(心不全)83歳 4月22日葬儀
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 かたい地球も、太陽と月の引力で伸び縮みすることを数式で示し、世界的に認められたのは20代。42歳で東大教授になった。  竹内研究室1期生の水谷仁・宇宙航空研究開発機構教授は葬儀でこう話した。
 「数式で表せないのは研究が足りないからだと教えられました」
 一方、数式を使わず、これ以上分かりやすくできないところまでかみくだいた解説で、科学の普及につとめた。受験参考書を書き、テレビに出演。小松左京氏のベストセラー「日本沈没」のブレーンに。映画化の際には自ら東大教授竹内均役で出演した。この映画を見て「プレートテクトニクス説」に興味を持ち、科学者を志した人は少なくない。
 マスコミに出ることに批判的な見方もあったが、気にしなかった。
 「誰も読まないような難解なものを書いて、権威を示したつもりになって喜んでもしかたない」
 朝4時ごろ起床。家族を起こさないように注意しながら、縄跳びや読書をして、朝食をとる。電車が込む前に家を出て、朝7時半に席に着く。夕方4時半には仕事を終える。
 規則的な生活は、定年退官後に科学雑誌ニュートン編集長になっても変わらなかった。
 「人の集中力は長く続かない。効率的に働けるのは15分」と言い切り、ある原稿をまとめていても中断して別の原稿にかかる。原稿は口述で、録音したものを秘書がワープロ打ちした。歴代の秘書たちは言う。
 「点や丸の指示も入り、ほぼ完成原稿。頭の中はとても整理されていると感心しました」
 編集部員がまとめた原稿はすべて目を通し、赤いペンで添削。遅刻やだらしない服装には厳しく、眼鏡のフレームやネクタイのおしゃれにこだわった。
 色紙を頼まれると必ず「勤勉・正直・感謝」と書いた。その言葉通りの人生だった。(瀬川茂子)